ちえちゃんという、女の子がいた。
もう30年以上前のこと。
幼稚園の先生は
「ちえちゃんは お母さんのおなかの中に『知恵』を置いて生まれてきたの。
だから、みんなの持っているものを持っていないけれど、
みんなが持っていないものを、もしかしたら持っているのかもしれないね。」
と私たちに度々話してくれた。
ちえちゃんは、よく笑っていた。
走るのが遅くてかけっこはいつも最後だったけど、ゴールで先生に抱きしめてもらって、嬉しそうに笑う。
男の子にからかわれても、笑っている。
お漏らししても、少し困ったように笑っている。
ちえちゃんはお絵かきが好きだった。
画用紙をびしゃびしゃにしてしまうほど塗りたくるので、絵の具を使うときは ちえちゃんだけいつもひとりの机だった。
ちえちゃんと私は家が近所だったので、たまに一緒に遊んだ。
といっても、それぞれ地面に絵が描けるチョークのような石を持って、会話をするでもなく好き勝手に灰色のアスファルトに線を描くだけだったけれど。
時々お互いの線を混ざり合わせては、「ふふふ。」と ちえちゃんは含み笑いをした。
ちえちゃんは、私の突拍子のない妄想話も、楽しそうに聞いてくれた。
「空とつながってる みずたまりがあるんだよ。すいこまれたら 空とべるんだよ。」
なんてことを、否定もせず聞いてくれるのは ちえちゃんくらいだった。
私はちえちゃんの前では、堂々と夢の世界へ飛んでいけたのだ。
先生は、ちえちゃんをよく褒めた。
「ちえちゃん おべんとう全部たべたね、すごいね。」
「ちえちゃん お着替えひとりでできたね、がんばったね。」
「ちえちゃん たいこばし渡れるようになったね、よかったね。」
私は「ちえちゃんが 私たちの持っているものを持っていない」から、先生はちえちゃんをたくさん褒めるんだと、なんとなく思っていた。
5歳の私には、ちえちゃんがお母さんのおなかに置いてきた『知恵』なんてものは正直よくわからなかったし、
私たちが ちえちゃんと少し違うということに、ばかみたいに優越感さえ感じていたのだ。
今思えば。
褒められるとちえちゃんは、やっぱり「ふふふ。」と肩をすくめて恥ずかしそうに笑っていた。
ある日、ちえちゃんはチョーク石をぐるぐる動かして地面を塗っていた。
力をかけすぎて折れてしまっても、両手に持ってぐるぐる動かし続けていた。
とても暑い日で、ちえちゃんの汗がアスファルトにポタポタ落ちた。
「なにかいてるの?」と聞くと、「みず。」と言った。
みずたまりだ。となんとなく思った。
数本分のチョーク石を使って、汗だくになりながら ちえちゃんは地面に みず を描き上げた。
白いぐるぐるの みず は雲のようにも見えて、ふたりでごろんと伸びをして寝転べるくらいおおきかった。
みずの中にペタンと座り込んで空を見上げるちえちゃんは、本当に吸い込まれちゃうんじゃないかと思うくらいちいさく見えた。
ちえちゃんが本当に空へいったのは、それから数年後のこと。
ちえちゃんは、みずたまりの空を知っていたんだと思う。
きっと、ちえちゃんはいろんな世界とつながっていて、こっそりひとりで行ったり来たりしていたような気がする。
「私たちが持っていなくて ちえちゃんが持っているもの」は、きっと、それだったのかもしれない。
そして、私は、そんなちえちゃんが本当は羨ましかったんだと思う。
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