研究ノート

芸術による教育の会研究部長:佐藤かよこ

芸術による教育の会副理事長:寺尾憲

ピーターパン症候群

大人になれない永遠の少年

・母親固着…
 母親に対して、怒っては罪の意識に苦しむという相反する気持ち(アンビバレンス)を抱いている。母親の影響から逃れたいと願っているが、そうするたびに、ひどく罪悪感を覚える。外で何かあるたびに母のことが気になり、母の許可をもらわなければ安心できない(夜遅くなるから、どこかへ出かけるなど)。そして、母が良い顔(機嫌がいい)だと安心して何でもできるが、機嫌が悪いと不安でなにも手につかない。時には大切な仕事や約束などを放りだしてしまうこともある。これは異性関係において特に顕著となる。

・感情の起伏が激しい…
 感情はある時期から発育がストップしているため、感情の表現が異状になる。普通の怒りが激怒になり、嬉しさも度を越してヒステリックになる。又わずかな失望は極端な落ち込み(メランコリー)となる。とってもやさしい良い子だったのに、という子供も、大人になると、残酷で自己中心的な人間になっていく。

・無責任としらけ…
 わからない、どうでもいい、関係ない、などの言葉をすぐに口に出し、自分とのかかわりを拒否し、責任を他に転嫁する。そのうちどうにかなる、という考えが常にあり、自ら渦中に入って解決することを拒む。
・社会性のない人間…
 非常にさびしがり屋であるにもかかわらず親友がいない。常にワイワイと無責任さの中でさわぐことを好む。そして見当ちがいのプライドを持ち、社会に溶け込もうとしない。自分の実力の限界を認めようとしない。

・極端なナルシズム(自己愛)…
 自分についての誇大感を持ち、心に人波はずれた理想像を持ち、常に現実化しようとする。絶えず周囲からの賞賛や賛美を期待する。まわりから非難を受けたり無視されたりすると自己愛を傷つけないようにする。また、自己愛を満たすためには、他の欲望や人間性などをすべて犠牲にしても良いと考えている。自分をかっこよく見せることに全精力をそそぐ。八方美人的にふるまい、自分が傷つくことを最も恐れる。形の上では人を愛することができるが、自分が傷つく時には他への愛(妻、恋人)を忘れてしまう。自分が傷つきそうになると、関係ない、わからない、どうでもいいという得意のセリフが出てくる。又、人に素直に、ごめんなさいと言えないのも特性である。

自己愛人間には次のようなタイプがある。
*自己実現型……才能を持ち、理想が高く、ひたむきな努力をしてエリートコースを進む人。自己愛を満たすためなら、政略結婚をしたり、身売りをしたり、あらゆる犠牲を辞さない。
*破綻型……親子関係も中で特に自己誇大感が肥大し、思春期以降、自己誇大感にみあう自己実現の能力をもたないために自己愛が破綻し、挫折する。登校拒否、家庭内暴力、自殺、非行、食欲障害(過食、拒食)などをきたす青少年。
・性への固着…
 女性とつきあってしばらくすると、女性はたいてい、その未成熟ぶり、マザーコンプレックスに愛想をつかす。そうなるとピ一ターパンは、残酷で非常で男くさい男を装って感受性を押し殺し、相手かまわず性を求めるようになる。そして恋人が得られるとそれにベッタリとなり、嫉妬のかたまりとなり破局を迎える。女性の自己主張や独立心を毛嫌いし、腹を立て怒り狂う(男尊女卑の考え)。

・外面は、愛想よく、親切でやさしく、好人物と思われているのが特徴。

 以上がピ一ターパンの特性のあらましである。こういう男の子およぴ男性が急増している。むしろ、そうでない人をさがすほうが難しいほどである。しかし、ピ一ターパンと言って笑って済ませるのもここまでで、これがさらに進むと(重症の場合)、精神に異常をきたし、ある日突然、とんでもないことをすることがある(理由もなく子供の目を刺す、人を殺す、残虐行為、等々)。父親と母親の動物としての役割が果たせないと、何の罪もない最愛の男の子が、その一生を棒に振ることになってしまうわけです。

☆ピ一ターパンはどのように形成されるか
 子供にとって父の役割および母の役割がちゃんとなされていないと、子供の心にひずみが生じ、性格形成に大きな影響を与える。
『もし、父親と母親の役割が逆転したら男の子はどうなるのか』について記してみます。父はやさしいばかりで厳しさを与えない。母は口やかましく、子供に干渉過多になる。家庭の実権は母にあり、母が父をさしおいて大切なことを決めてしまう。そういう母を父は制止できない。このような環境で育った男の子はエディプスコンプレックスを良い形で経過することはできません。父の厳しさに耐え、それを乗り越えるという経験が得られないからです。大好きな母からは毎日、口やかましく、あらゆることに干渉され、言われた通りにしないとヒステリーをおこされる。そんな母を父はただ見ているだけ。この状態で男の子にできることは、母にとっていい子になること。母の目に敏感に反応して、母の言わんとしていることを先回りして行うことなのです。その子供の価値判断の基準は母の目となり、男の子は本能を押し殺し、自我を自ら崩壊させて行きます。こうしてピ一ターパンのタマゴが出来上がっていくわけです。

 世の母親の多くは、「男らしく育てる」という目的のために、口やかましく、干渉過多になり、ころばぬ先のつえを常に与え、子供の試行錯誤の道をとざしてしまう。ころんで痛かったから、ころばないようにする。痛さを知る子供は他に対してメチャクチャなことはしない。痛さを知らない子供が、平然と行うのです。相手の痛さが理解できない子供は、自分で痛さを身体で感じて育っていないことを意味します。母親はいろいろな意味で、子供がころぶのを見ている勇気と忍耐を持たなければいけないのです。ころんで傷ついた子供を、身体と愛でなでてあげるのが本当の母の姿であり母の愛なのです。父のきびしさは、子供の社会性を育てます。そして何よりの意義は、母より強いものがあることを子供に身体を通して知らせることにあるのです。口うるさい母を父が制する。子供が母親固着から脱出する唯一の力が、父の強さなのです。


(ダン・カイリーの『ピーターパンシンドローム』および『ウェンディージレンマ』を参照し引用した)