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研究ノート

芸術による教育の会研究部長:佐藤かよこ

芸術による教育の会副理事長:寺尾憲


母と子の信頼関係

1,母と子の遊び

 4月に入園式を終え、やれやれ、これで集団生活の仲間入りができたと一安心も束の間、毎日の担任の先生からの報告が気になってきます。「お友達の中に入っていけない。泣いてばかりでみんなと何もできない。おもらしする。勝手に保育室から出ていく。じっとしていられなくて、あちこち、ふらふら、歩き回る。ヒステリーを起こして奇声を発する。いじめる。物を投げつける。等々・・・・・・」

 お母さん方は「あんなに幼稚園を楽しみにしていたのに、どうしたのかしら」と祈るような気持ちで4月・5月を過ごしています。「いつか、きっと幼稚園や友達に馴染んで、集団生活ができるようになってくれる。」時の経つのを待って、先生の努力で、子供の方にあきらめさせるというやり方で解決していくのも一つの方法ですが、果たしてこれが良い意味での母と子の分離、自立と言えるか擬問です。

 ここで最も重要なことは、「幼稚園に行きたくない、母の手元を離れて多くの友達や先生と楽しく時間を過ごせない。等々は、一口で言って、母と子の信頼関係がよくできていないということを意味している」ということです。

 この信頼関係とは、母と子の二者関係は幼稚園に入園する以前に形成されると言われています。

 精神分析医のフロイトは、フロイトの孫のハンス坊やの観察を通して、後に遊戯治療を弟子達と共に創始したのです。

 ハンス(1歳半)は、夜、自分の両親の邪魔をすることもなく、母が自分を置いて外出する時も決して泣いて後を追うこともなかったし、両親が禁止するものには決してさわるようなことはなかったのです。両親にとってこんなに都合のよい赤ちゃんが存在するはずがないと考えたフロイトは、ハンスを観察し続けました。

 ある時、一人で留守番をしていたハンスは、以下に述べる三つのかわいい一人遊びをしていました。 

(1)ハンスは小さな物を手にとって、それを自分の日の見えない所に放り投げ、次にその物をさがすことに時間を費やした。 

(2)自分の小さなベッドの中からハンスは毛糸の巻きついた糸巻を放り投げ、そしてそれを引っ張り戻すことを楽しんでいた。 

(3)最後に、自分自身を鏡にうつし、次に今度は自分が鏡に見えないところに行って、見えなくなることを(鏡に自分がうつらないこと)確認する。 これらの試みは、いずれも何かを失って、また回復するというゲームである。フロイトは、初めて乳児の内的な不安システムについての洞察を得、その乳児の活動性の象徴的な意味を理解した。

 ハンスは母親喪失(一時的にいなくなる)に関する悩みを色々な形でプレイ・アウト (演技化、遊戯化)していたのである。この事実を知ってフロイトはプレイの力動性に注目すると共に、ハンスが、その遊びを通して自己自身の喪失感(母を失う)を自らの力で回復し、治療していることに気づき、問題を持つ子供達への治療の方法を見付け出したのです。

 これは私達が赤ちゃんを育てる時に、母と子の間で繰り返される一見ばかばかしい様々な遊び(まりころがし、いないいないバー、かくれんぼ、追いかけっこ、等々)こそが、母と子の信頼関係をつくる基礎になっているのです。イナイイナイと手で顔をかくした母が、じっと待っていると間もなくバアーといって現れる。人間信頼の根源は、こうした母と子のたわいのない遊びによってつくられると言われているのです。

 人間の基本的な信頼と愛情を保っていられるのも、喪失や挫折の中で狂わないでいられるのも、又、民族や文化のちがいを乗り越えて人間が理解しあえるのも、この乳児と母との深いかかわり(信頼関係)によるものだと言われています。このように乳幼児は、心を傾ける母の、愛をこめたかかわりを基本的な権利として心の中に包含しているのです。

 しかしお母さん達は、赤ちゃんを生んだ後、一日も早く手が抜けることを希望して、せっかちに自立を促し、母自身が出産以前の自分へ早々とたち戻ってしまう傾向が見られます。母親のこの傾向が、いろいろな問題をもつ子供を育てる原因となっているのです。そして、この現象は近年になって社会問題としてクローズアップし、乳幼児精神医学という新しい領域が出現することになったのです。

 以下に乳幼児精神医学からの主張、提言を紹介いたします。

 人類の歴史を振り返ってみて、多くの精神科医と小児科医がまず気付いたことは、発展途上国では赤ちゃんの鳴き声がはとんど聞かれないという驚きでした。特にこのことは先進国であるアメリカの小児科医の興味をひきました。アメリカでは、「乳児が泣き止まない、すぐ泣いて困る」という電話が小児科医にひっきりなしにかかってくるのです。この事実は乳幼児の養育に関する一連の擬問を投げ掛けます。「人類の赤ちゃんは苦痛以外は泣かないのか」「泣くのは暖かさ、接触、刺激を求めるためなのか?」 栄養状態もよく、健康で活発で反応も良い発展途上国の多くの乳幼児たちは泣かない。ポリビアやペルーのアンデス山脈に住む母親たちは狩猟者・採集者であると共に、数十万年にわたり、母親自身の身体に赤ちゃんを乗せて運び、羊の番をしながら羊毛をつむぎ、その中で乳児に声をかけ親密な接触を与え、夜は赤ちゃんといっしょに眠ります。

 日本でもかつて、農業を営む母親は、田畑の仕事をしながら、赤ちゃんを籠に入れて自分の目の届くところに置き、仕事の合間に赤ちゃんに声をかけ、そして授乳させている例がたくさんありました。東北地方に残る民芸玩具のイズメッコ(籠に入った人形)はその形を残している数少ないものです。そうは言ってみても、今の私達にはこのような育児の姿は、何か、かっこうが悪くピンとこなくなっています。一方、アメリカの小児病院では、非器質的(身体のどこも悪くない)な発育上の障害を持つ乳幼児が、本当に身体の悪い乳幼児の入院患者の中で1~3%も占めています。これらの赤ちゃん達は、しばしば人間の接触や刺激に対して不自然で必然性のない反応をすると言われています。発展途上国と比較すると、アメリカでは、赤ちゃんが養育者である母との接触する時間は極端に少なくなっているのです。例えば、狩猟採集民族の赤ちゃんは生後数カ月は80~90%の時間、9ヶ月では60%の時間が母と子の接触時間です。アメリカの赤ちゃんは生後3ケ月で33%、9ヶ月後で接触時間は16%にまで下がっており、別々に寝ることが普通になっています。

 この事実は私達に、育児のありかたの根本を示唆しています。

*出産直後より、正面から子供を見つめ、刺激をおくり、ゆとりを持って楽しんだ母と子はコミニュケーションと言語の発達能力が高い。

*生後1年間の間に、比較的多くの身体的接触を楽しんだ乳児は、後に9ヶ月を過ぎると、接触(スキンシップ)要求が少なくなり、一人で遊んだり、探検したりする。手元から離されても、その状態を元気で受け入れることができる。以上は乳幼児精神医学によるデータですが、もう一度、自分の子供を育てた時のことを思い出して、反省してみることも良いことだと思います。幼稚園生活になじめず、問題を持っている子供のお母さんは、もう一度、赤ちゃんの時にはぶいたこと(未完の行為)をやり直し、母と子の信頼関係を回復して下さい。大切なことは、幼稚園でうまくいかないことや、家庭でうまくいかないことを、批判したり、怒ったり、突き放したりしないことです。少しでもよくできたことをとり上げて、誉めて、そしてはげまして上げてください。「早くなんとかならないかしら」というあせった心を捨てて、真心をこめて、子供の心に向かい合って暖かさをあげれば、間も無く、色々な問題は解決していくことでしょう。

 子供の喜びや失意を真心から共感してあげて下さい。