芸術による教育の会の美術教室では、生徒たちの作品をコンクールに出品しないとても大事な二つの理由。

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子どもの絵に優劣をつけない「明日への手」美術展出品作品より

芸術による教育の会の美術教室では、生徒たちの作品をコンクールに出品しません。

その理由は大きく二つあります。

まず一つは、生徒以上に先生たちが頑張りすぎて、子ども達の絵をダメにしちゃうからです。

私が本会に入社した31年前には、本会内で「年賀状コンクール」というのを毎年実施していました。

11月中旬より、生徒たちに年賀状フェルト版画制作を指導し、何枚か版画を刷った中から最も出来栄えの良いものをコンクールに出品するのです。

12月の中旬に、全教師が集まって公正な審査を行い、集まった作品の中から、金賞2〜3枚、銀賞5〜8枚、銅賞10〜15枚、入選数十枚を選びます。

入社して半年が過ぎ、初めての年賀状コンクールの時でした。

審査の結果は私にとって残酷なものでした。

私の担当する生徒は誰一人受賞することはなく、入選もほとんどいませんでした。

他の先生達の生徒作品を見て、あまりのレベルの高さに大きなショックを受けたあの感覚を今でもはっきり覚えています。

フェルト版画制作は、生徒達だけで作れるものではありません。
フェルトをハサミで切ったり、カッターナイフで切り抜いたりして版を作ります。
低学年ではまずカッターナイフが使えません。ハサミも細かい部分は上手に切れないので、子ども任せに作らせると何をデザインしたものかわからない版になってしまいます。

子どもの技術でできないところは先生が手伝うのです。
子どもの気持ちに立つとどんなに細かい複雑なデザインでも下書き通りに切って上げたくなるのが先生です。

そうやって手伝ってしまうと、低学年の作品の方が高学年の作品よりも出来栄えが綺麗になってしまいます。
自ずと先生達は高学年の作品も低学年に負けないように、まるで自分の作品のように丁寧に手伝ってあげるのです。

そして、2年目の年賀状コンクールの時に、私はリベンジに燃えました。

私は美術家としていろいろなコンクールに挑戦していたので、「選外」という結果を私自身のプライドが容易に認められなかったのです。

「私の指導力の低さが原因で生徒達の作品が選ばれない。」
そんな可哀想な思いをさせたくない。
そして、指導者としての自分自身の身勝手なプライドのために意地になっていたのだと思います。
指導にも熱がこもりました。

賞を獲るにはアイデアと構図の良し悪しでその結果の9割が決まります。

特に構図については、より良い画面作りになるように何度も図案を描かせました。

生徒自身で切り抜けない版の部分は、全部自宅で夜遅くまでかかって手伝いました。

そしてその結果、金賞・銀賞・銅賞共に約50%は私の担当する生徒達が選ばれ、3名に1名は入選という好結果となりました。

本会内部で発行される機関紙では、私の担当する教室名とその作品が紙面を飾り、私はとても誇らしい気持ちになったのを覚えています。

しかし、本会の先生達はみんな負けず嫌いです。

そして、同コンクールは年を重ねるごとにエキサイトしていきました。

「美術教室で入選した年賀状は郵便局の年賀状コンクールに出すと必ず賞がもらえる!」と保護者の皆さんに噂されるほどのハイレベルなコンクールになってしまったのです。

そして、それから数年後にこの年賀状コンクールは廃止となりました。

皆様にもその理由が容易に想像がつくと思います。

同コンクールは、子ども達を励ますコンクールではなく、先生自身の評価のための半分身勝手なコンクールになってしまったのです。

生徒がすごい!のはもちろんですが、その指導をした先生がすごい!と思われるように私たち教師がエキサイトし過ぎたのです。それがコンクールを廃止した大きな理由の一つ目です。

二つ目の理由は、自分の感覚に自信が持てなくなり、素直な心の表現ができなくなるからです。

「選ばれる生徒がいるということは、選ばれない生徒がいる」ということです。

「なぜ、◯◯ちゃんの作品が選ばれて自分の作品が選ばれなかったのか?」「自分の作品のどこが劣っていたのか?」との疑問に対して私たち教師は明確な答えが出してあげられないのです。

明確に答えてあげることが教育的な意味を持つのであればそうするでしょう。
しかし明確に答えて上げようとすればするほど、選ばれなかった生徒の心を傷つけてしまいます。

国語にしろ、算数にしろ、テストの点数は誰が採点してもその結果は変わりません。
その結果から、自分に何が足りないか、どこを努力すればいいか生徒自身で理解し納得できます。

しかし、美術は違います。

美術は答えが一つではないのです。

なぜ、どこが、あなたの作品よりも◯◯ちゃんの作品の方が優れていたかを明確にするということは、その子どもに一つの解答を刷り込むことになってしまいます。

◯◯ちゃんのセンスを刷り込むことになってしまいます。
選ばれた作品にこそ正しい答えがあるのだという誤解を刷り込んでしまいます。

それは、その子自身のセンスを否定することになるでしょう。

センス=感覚

自分では「これがいい!」と感じたことについて、「それのどこがいいの?センス悪いわねえ。」と言われたら、皆さんはどんな感じがしますか?

大人でさえ受け入れがたく心が傷つきます。

それを、小さな子どもが味わったらどうでしょうか?

自分の感覚に自信がなくなるとは、「綺麗だなあ」と感じた時や「私はこっちのデザインが好き!」と感じた時に、自信を持ってその気持ちを表現できないということです。

大人になっても、自分で「良い!」と感じたものを自信を持って選べなくなるのではないでしょうか?
「ブランド品だからいい!」「高価なものだからいい!」「みんながいいというからいい!」

自分の感覚に自信が持てないと、みんなと違ってもいいんだという独自性に自信が持てなくなると思います。

子ども達には、自分の感じたことに素直であってほしいと願います。

「どちらの感覚が正しいか、または優れているか」ではなく、自分の感じた他人とは違う感覚に自信を持ってほしいと願います。

私たち芸術による教育の会では、この二つの大きな理由により、子ども達の作品に優劣をつけるコンクールを行なっていません。

大人のための、子どもの絵画コンクールは必要ない!

技術の優劣なんて気にならなくなるほど、子ども達一人一人の素顔のままの表現はオンリーワンで素晴らしいのです!

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第59回「明日への手」美術展より 優劣をつけない。だから子ども達の作品はみんな個性が光っています!

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PROFILE

屋嘉部 正人
屋嘉部 正人芸術による教育の会GM
沖縄生まれの大阪育ちの千葉県野田市在住
多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業
横浜美術大学絵画コース非常勤講師

大学四年生から芸術による教育の会で美術教室教師としてアルバイトを始め、大学卒業とともに同会に入社。

美術家として個展やグループ展など多数発表を続け、新制作協会に所属。

50歳を機に人生をリセット
・右利きを辞めて左利きとして生まれ変わる
・やりたくてやらなかったことを全てやる
52歳で新制作協会会員を退会
53歳でこれだけはやめられない一番好きなお酒をやめる
・芸術による教育を全国に広める伝道師として芸術による教育の会GMとなる
・「紙コップのインスタレーション」を各地で実施。