芸術による教育の会の成り立ち

第一回目の内容として、まずは「芸術による教育の会の成り立ち」について記します。

私はこの会に大学四年生の夏休みからアルバイトで働き始め、その翌春から正式に入社し今年で31年目になります。本会の設立が1954年ですから、62年間の歴史のある会です。私は社歴の後半しか理解していません。そこで、創設当初からの前半の30年について代表取締役の寺尾社長にインタビューしてみました。


屋嘉部:1954年に芸術による教育の会は創設されましたが、創設者の故佐藤恵一理事長と故佐藤かよこ研究部長は、どのような目的でこの会を作ったんですか?

寺尾:昭和29年当時、美術大学の卒業生特に絵画科の人たちは、就職するという気持ちがなく、ほとんどがフリーターのような生活をしていました。
若いときだけでなく、中年、熟年になってもフリーターのままで、個展や公募展などにすべてを注ぎ込んでいました。
当時、唯一人気の職場がありました。

それは小学校や中学校の用務員です。
昼間は学校の雑用を行い、夜はずっと絵が描ける。

広いスペース、誰にも邪魔されずに心おきなく絵が描ける環境が、この仕事だったのです。 もちろん住み込みです。
他にもありました。それは夜警の仕事です。夜だけ定期的に見回れば給料がもらえ、有り余る時間をえることができたようです。
佐藤恵一理事長の絵描き仲間もそういう人が多かったようです。

学校の美術の先生になったら、忙しくて、絵など描いている余裕は全くなかったようです。それは、現在でも同じようです。

そんな中で、なんとか絵描きが絵描きとして食っていける方法はないものか???
理事長自身が、若いころの結核の後遺症で、足が不自由でした。働くにも、まともに歩けない状態で、必死だったと思います。
そこで、考えたのが、自宅での美術教室の開設でした。
絵描きがまだ珍しかった時代で、近所ばかりでなく、遠いところからも生徒さんが通ってくれたようです。

奥さまである、佐藤かよこ先生は、医学部に席を置き、心理学を学び、子どもの絵と心の関係を研究していました。
昭和医大の小児科の先生を対象にした講演会などを行いました。
子どもの心と絵の関係の研究は、大きな評判となり、佐藤恵一理事長の美術教室は大繁盛でした。
自宅だけでなく、つてを頼って、東京、横浜の方面に進出し、幼稚園の課外の美術教室を開設し、美大生または、卒業生を雇って、経営者になっていきました。
美大生やその卒業生にとって、まことにありがたい職場だったようです。
自分で美術教室を開くのは大変で、ほとんどが消えていきました。そのノウハウがなかったからです。
「美術家が美術家として食べていける職場」

これを大義名分として、美術大学に働きかけ、大学との深い関係を築きました。

大学も「美術家が美術家として食べていける職場」に期待し、最大限の協力をしてくれたようです。
この思想、目的は、今の芸術による教育の会に、脈々と流れています。


屋嘉部:私が大学卒業後30年以上にわたり美術活動を続けてこられたのも、美術家への理解のある会だからです。

ところで、創立当時の美術界や美術教育はどのようなものだったんでしょうか?

理事長であり現代美術家でもあった佐藤恵一理事長と、子どもの絵と心についての研究者で心理学者の佐藤かよこ先生の理想が融合した会だと言えますね。

私たち美術家にとっても大変刺激的で学びが多く、美術に関わりながら生活の糧を得るということで理想的な会です。

しかし、経営者の立場では、60年以上継続してきた中での苦労もたくさんあったでしょうね?

寺尾:昭和29年当時の日本の美術教育の状態は、東西の冷戦の影響を強く受けて、ソビエト流、アメリカ流、イギリス流と大きく3つに分かれていました。
圧倒的に大きかったのは、ソビエト流で、社会主義リアリズムとして、一世を風靡しました。
そんな中で、佐藤恵一理事長と、佐藤かよこ先生は、イギリスの思想家「ハーバート・リード」の「芸術による教育」を取り入れ、「芸術による教育の会」という名前で、産声をあげました。
芸術による教育の会の最大の特徴は、心理学特に子どもの発達心理、乳幼児の心理学を全面に取り入れ、一人一人の子どもに適した指導を行ったことにありました。これは当時としては、画期的なことだったと思います。

他の美術活動や美術教育団体と芸術による教育の会との違いは、ここにありました。
芸術による教育の会は、大きな企業の援助は全く受けず、自力で独自の路線を歩んできました。そして、ガラパゴス的な進化をとげてきたと思います。

そんな会で、行ったことは、この小さな会社「芸術による教育の会」をなんとかして、普通の会社にすることでした。
子弟制度、親子制度、徒弟制度など古いやり方がどうしても付きまとってしまう現実をなんとか改善し、普通の雇用関係を確立し、社会保険などあたりまえのことをまず取り入れました。

これは資金的には大変なことで、会社は、毎年ピンチに立たされました。
努力の甲斐があって、ゆっくりではありますが、会社の規模が大きくなり、収入も増えてきて、いろいろな問題が解決されていきました。
本会の美術展「明日への手美術展」が60年以上続けてこられたことは、奇跡に近いと感動しています。継続は力なり、会社は、未来に向けて新たな出発をしようとしています。


屋嘉部:寺尾社長は代表取締役として私たち美術家の生活を第一にいつも親身になって経営の改善をしてくださり今日このような大所帯になりました。

本会の代表取締役として、本会の将来のビジョンをお聞かせください。

寺尾:芸術による教育の会は、現在美術教室を100教室、生徒数は3500人という企業に成長しました。そして常時80人を超える美術教師を抱えています。
美術教室としては、日本で一番大きな組織ではないかと考えています。
昨年度から始まった、インターネット事業は、そのシステムが今完成しようとしています。インターネットを通して、美術を通して国境を越え、世界中の子ども達とつながろうとしています。

WEB美術館の創設。WEB美術教室の創設など遠隔地や外国の子ども達に「美術による教育」を行えるようになろうとしています。
グローバルを必然とし、新しい時代に燦然と輝くことを実現しようとしています。

美術はあらゆる分野の入口である。

美術による教育によって、子どもたちの心に、柔軟な思考力を育み、情緒を安定させ、自己表現と自己主張が大好きな子に育てたいと願っています。
美術は日本橋。

あらゆる道の入口です。
幼児期の「美術による教育」はその子の将来を輝かせることでしょう。
幼児期の美術に始まり、老年期を美術で楽しむ。
これを世界中に教えてあげたい!!


屋嘉部:WEB美術教室は一年目にして国境越えをしましたね。

美術のセンスって、なんて事のないようなものに光を当てて生き生きとした価値を見出しますよね。

辛い時や苦しいときにさえ、美術のセンスで生きる楽しみに変えられるポジティブな心を育てたいですね。

私の知らない本会の歴史をたくさん語っていただきました。ありがとうございました。

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PROFILE

屋嘉部 正人
屋嘉部 正人芸術による教育の会GM
沖縄生まれの大阪育ちの千葉県野田市在住
多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業
横浜美術大学絵画コース非常勤講師

大学四年生から芸術による教育の会で美術教室教師としてアルバイトを始め、大学卒業とともに同会に入社。

美術家として個展やグループ展など多数発表を続け、新制作協会に所属。

50歳を機に人生をリセット
・右利きを辞めて左利きとして生まれ変わる
・やりたくてやらなかったことを全てやる
52歳で新制作協会会員を退会
53歳でこれだけはやめられない一番好きなお酒をやめる
・芸術による教育を全国に広める伝道師として芸術による教育の会GMとなる
・「紙コップのインスタレーション」を各地で実施。